チキン南蛮(すがる)
今日はOB訪問と懇親会(という名の飲み会)に行ってきた。
まあなんというか同級生の皆は、僕が知らないところで色々考えて手を打ったりしてるんだなぁと思った。まだ手遅れにならないうちに、思考を行動に移さねば。
それはさておき、この懇親会の会場は、なんとあのTRTR亭だった。実に5年ぶりである。案の定チキン南蛮が出てきて、それがとても美味しかった。MTKD屋のも悪くはないが、それとは格が違う。鶏肉は分厚くボリューミーで、程よい甘味のタレとたっぷりのタルタルソースがかかって、それを揚げたてサクサクのうちに頂くのだ、美味くないはずがない。今日はこのためだけでも学校に来た価値があるかもしれない。
今年から通年採用になった?こともあってかなかなか就活の正解がわからないこともあるけど、来るべき日まで頑張りたい。
ネタ探し方法+ネタ募集(すがる)
すがるです。今日はまた日記書こうと思います。とはいえ日記書きたい気持ちに反してアイデアが全く出てこない…。泣
そこでふと思い出したのが、wikipediaのおまかせ表示。wikipediaの記事をランダムに表示してくれるわけです。ということで早速やってみます。
すると、「兵庫県道338号高田久々知線」の記事が。
……………
いや、どうネタにすればいいんだこれ。残念ながら僕は「兵庫県道338号高田久々知線」については引き出しが全くない。別の記事で再チャレンジ。
今度は、「ムラサキセンブリ」。さっきよりはいけそう。
どうやらセンブリの仲間のようですね。(名前見りゃわかる)
センブリ茶はとても苦いとか聞いたことはあるけど、飲んだことはないなあ。
…………
なんか、どう話題を広げたらいいか分からなくなってきました。
日記のネタは話を広げやすかったり、単純に面白いものを探したい…。泣
そんなわけで、ネタ探しのアドバイス、あるいはネタそのものを教えて下さる方、大募集します!!!
どんな些細なことでもいいので、ぜひぜひこの記事のコメント欄に投稿よろしくお願いします!!!
返信は全部にできるかわかりませんが、目は通します!!!
あなたの一言がこの日記を作り上げるのです!!!
それではまた!!!
その日の天使(たきで)
僕が敬愛する作家中島らもさんのエッセイの中に、"その日の天使"という考え方が出てくる。
"その日の天使"の考え方はうろ覚えだけれど、こんな感じだ。
「人一人には必ず"その日の天使"がいる。それは例えば、思いもよらない誰かからの電話であったり、ふと開いた本の些細な言葉であったり、たまたま通りがかった焼き芋屋さんであったりと様々な姿・事柄になって現れる。"その日の天使"は、しんどい気持ちになっている時ほど気づきやすい。いっそ今死んでしまおうかという時に思いもよらないことにふっと心が救われることがある。それが"その日の天使"なのだ。」
僕は高校生の頃にこの考え方を知ってから、あらゆる場面で"その日の天使"を感じてきた。
人に誘ってもらった時、お礼を言われた時、たまたま運が良かった時、不意に電話やLINEが来た時……。
基本的に僕は人から"その日の天使"を感じることが多い。だからもし誰かが連絡を取ってきてくれたならば、それは僕にとってきっと"その日の天使"たりえ、心が救われるのだろう。
結局、誰かから接触して貰うことでしか、僕は自分の存在意義を確認できないのかもしれない。少し寂しいことに。
芽(たきで)
以前、「友達は少なくないけれど、自分から人を誘わないと誰も声をかけてくれないのが悩みだ。」といった類の記事を書いたと思う。
だけど最近、人から誘われることが増えた。「晩御飯行かない?」だとか「このイベント行かない?」だとか。
それに、何かをしたい時に気軽に誘って気軽についてきてくれる友達も増えた。好きなものや悩み事を語り合える友達も増えた。
相変わらず、地味でパッとはしない日々を送ってはいるのだけど、気づいたら色々な人に囲まれていた。ずっと、投げ出さずに人に接し続けたおかげで、撒いた種が漸く芽吹き始めたようなそんな感覚だ。これから離れてしまうことはあっても、きっとそういう人達とはいつだって語り合えると思う。僕はそんな周りの人達をこれからも大切にしていきたいし、どんどん増やしていきたい。
なんてことを、年末年始に昔の友達に誘って貰えたり、遠くに行ってしまう友達にご飯に誘われたりした時、それに今日友達に「心を開いた人としか行かないラーメン屋を紹介するよ」って言ってもらえた時につくづく思った。
台本の国(たきで)
ふと、今まで見た怖い夢を思い返していたら、物語のような夢を見た事を思い出したので書きます。
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ある日、日本に突如王様制度が誕生する。
そして新しい王様が
「人は生まれながらにして、その人その人の役割が台本のように決まっている。だから一人一人に対して政府が人生の台本を作って割り当てるから、それぞれ自分の役割を全うするように。そうすれば社会がうまく回る。」
という命令をする。
人々は王様を信仰する者と反対派に分かれる。政府は台本に従わない者を捕らえ始める。初めは僕も仲間達も「自分にはやりたいことがあるんだ!」と反対派だったが、やがて政府から逃げるうちに親友以外とは散り散りになってしまった。
…
僕と親友は、地元の仲間しか知らないようなひっそりとした隠れ家のような場所で生活する。
その結果、政府から隠れて長く過ごし続けられたが、 ある日、親友が外の様子を見回りに行っている間に、僕は政府の役人達に見つけられてしまう。僕を捕まえたのはかつて一緒に逃げていた仲間達だった。「やっぱりお前はまだこんなところにいたんだな!お前も王様に従えよ!王様の考えは素晴らしいんだ!」
彼らはすっかり王様信仰に染まっていた。
政府に捕まると思想を植え付けられるらしい。彼らは警備を仕事として与えられ、出世していた。どうやら親友も、近くで捕まってしまったようだった。
…
そして時は進み、僕も自分に与えられた役割を熱心にこなす日々となる。役割を果たすために親友と自由に会う時間はめっきりなくなってしまった。でもなぜか、そのことに誇りさえ感じていた。
しかし、ある仕事中に親友の姿をたまたま見つけた。一瞬だけ目を合わせる。仕事中の互いの姿を見て「ちゃんとお前は"お前"をやれてそうだな。」と、目と目で語り合いながら微笑み、別れる。映画の一場面みたいに。
という幸せそうな雰囲気のところで夢は終わり。本当にやりたいことがあったはずの僕も親友も、そんなことはどうでもよくなって、与えられた役割に従うことに何の疑問も抱かなくなり、満面の笑みを浮かべる最後のシーンに狂気を感じた。幸せそうでどこか狂ってるのに全員笑顔でハッピーエンドを装ってるのがぞくっとして目が覚めた。
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〈おまけ〉今まで見た怖い夢ランキング
ランク外!寝返りも打てない細い牢屋に3年間投獄される!
3位!恐怖!拳銃持った殺し屋達が家に突然入ってきて襲いかかってきて、山に逃げても谷に逃げてもどこまでも追いかけてくる。
2位!戦慄!殺してしまった死体をどこに隠すか必死に考えて隠す!
1位!絶望!疲れた母がヒステリーを起こして祖母を角材で撲殺する!その後場面が変わって祖父が包丁で割腹する!
特別賞
新たな国、台本の国爆誕!僕達の運命やいかに!?
さよならだけが人生ならば(たきで)
お久しぶりですたきでです。久しぶりに書きます。
今回は最近の悩みの話を一つしましょう。
初対面の人と話す機会やそれまであまり喋ったことがなかった人と何かのきっかけで話が盛り上がる機会ってたくさん訪れますよね。
その度に、趣味や、出身地、バイトや学校・仕事の話、好きな映画や音楽、旅行の話、食べ物の話、色々なことで盛り上がりますよね。
しかし、一時的に盛り上がったものの、次第にそれらの話題が一通り終わって、ダレる瞬間がいずれ訪れるものです。
例えばメールやLINEだと、初めのうちは内容があって返信速度も割とマメなのに、だんだん遅くなって短文になっていきます。それに伴い、会話の中に疑問形がなくなっていきます。そうして、やがて終わりがきます。
一通りの話が出来たってことはお互いのことがある程度分かったはずなのに、それで疎遠になっていく。ということは、「自分の人間性が受け入れられなかったんじゃないか、合わなかったんじゃないか」、そんな事実だけが残ってしまうような気持ちになってしまいます。理解し合えたと思ったのに、理解なんてしきれてなどいなかったと途方に暮れてしまいます。
だから、最近は会話が盛り上がっている時ですら、この会話が一段落したら僕達の関係はどうなってしまうんだろうか、近づいた分逆に距離が空いてしまうんだろうかと終わりを考えてしまい不安になってしまいます。それならば、自分の話なんてしなけりゃ良かったのかななんて考えてしまいます。
そりゃ人と人には相性があって、いくらでも会話が続けられるような関係が理想なのは分かっています。だけど、相性だけで済ますのはとても寂しいことだと思うのです。
きっとこれが考えすぎなことくらい自覚しています。
しかし、それでもやはり人と人は話さないと繋がれないと思います。
「さよならだけが人生だ」という言葉が井伏鱒二の訳の勧酒にありますが、それに対して「さよならだけが人生ならば」と返した寺山修司の幸福が遠すぎたらという詩があります。
そうです、一通り話してまた疎遠になるとしても本当にそれだけで終わりなのかと問えばそれだけではないはずなんです。
人と人との繋がりは話題の豊富さなんかじゃ推し量れないはずなのに、気づいたら会話を続けるのに必死でそんな単純なことも見失いそうになっていました。
せめて僕の方だけでも相手のことを尊重して接し続けていれば、返してくれる人はいるはずだと、僕は信じようと思います。
2年前の俺へ(すがる)
お久しブリーフ。すがるです。
今日はたきで君とチャットしていて、色々話をしていた。とても全部は書ききれないし書く気もないからここでは割愛するが、彼曰く、僕(すがる)は2年前と比べると語彙が増えたしこれなら日記書けるのでは、ということである。
自分はそんな自覚は無かったが、そう言われればそうなのかもしれない。なのでせっかくだから日記を書いてみることにした。
しかしここでまず壁にぶち当たる。
日記とするには何を書けばいいのか。
僕はその日あった出来事を記録するものだと思っていたが、改めて調べてみたところ、その日思ったことを記録するものでもあるらしい。確かに。
そうとあらば、思ったことを好き勝手書いていこうと思う。
とりあえずこのブログで記事書いていた2年前の僕にメッセージでも送ろうか。
2年前の俺へ
やあ、2年前の俺。元気してるか?もちろん答えは知ってるけどな。笑
まあ色々あったけど、お前が思っていたような最悪な結末は無かったとだけは言えるよ。
なんやかんや院試も突破できたし、それよりも心配の種だった卒業もできた。取得単位は要件ぴったりだけどな。笑
もちろん全てが上手くいったわけではないけれど、俺は、いやお前は十分頑張るだろうし結果も出せるはずだ。だから諦めるな。
じゃあ、時間制限なりそうだからそろそろ切り上げるぜ。
2年後生きてまた会おうな。
2年後のお前より
―――――――――突然のキリトリ線―――――――――
あとがき
くう〜疲れました!
いや、もうね。久しぶりに文章書いて、結構楽しかったです。でも疲れてきたし、一応30分で書き上げるって時間制限も課してたのでここいらで終わりにしときます。
なんか、2年前の自分が言われたかったであろう事を考えて当時を思い出しながら書いておりました。昔を振り返るいい機会になった気がします。僕はあんな兄貴分?みたいな口調になることはまずないですが、創作の中でくらい、好き勝手してみました。笑
あとせっかくなんで日記は再開して続けていきたいなと思います。
それではまた。