先輩(とまと)
年末。
それだけでも大掃除などいろいろ忙しいのにのに、学会の原稿も書かなきゃならない。
パソコンの前で考えていても、なかなか進まない。
これは多分書くことに慣れていないというのが大きいのだろう。
そうしながらだらだらとネットサーフィンしていろんなブログを見ていたら、突然このブログのことを思い出した。
思い出したら久しぶりに何だか更新したくなってきた。
正直、一刻も早く原稿を書くべきなのだが、どうせ書けてないのだからいいかなとも思う。
しかし、こちらでも書くことが思いつかない......
こういうときは最近の出来事で書くことにする。
もう自分はやめているが、大学1年目から入っていたサークルがある。
最近、そのサークルに手伝いに行ったので、後輩と話す機会がたくさんあった。
「先輩」と呼ばれるのは嬉しく、手伝いをするのも楽しかった。
ただ、先輩扱いをされるのは心地よいが、それを楽しんでいてよいのだろうか。
向こうからすれば年上の人の話なので、ちゃんと聞かなければならない。
それを尊敬されていると勘違いして、自分が増長してしまわないか心配になってしまう。
やめた自分がいま尊敬されるような部分はないだろう。
こういうことを考えること自体も恥ずかしいため、終わったサークルには近づかないほうがいいと思ってしまう。
ただ、冷たい人だと思われるのは嫌なので、手伝って!と言われればとりあえず行けるかをひとまず考える。
なかなか1つの考えだけでは人間進むことはできないものである。
恐らく今年最後の投稿だが、またよく分からないことを書いてしまった......
別に年末っぽいことを書こうとした訳でもないのでいいのだが。
書こうと思い立ってから3日かかっての投稿となってしまったことを反省し、ここで終わりにする。
それでは今年も1年お疲れ様。
大学院試(たきで)
7月に大学院試があった。
この院試、一般入試ではなく
成績優秀者のみが受けられるいわば
推薦入試のようなものだった。
とはいえ、そんな選抜された優秀者の中から半数は落ちるのだから狭き門だ。
僕はこの院試に向けて4月から毎日朝から深夜3:00くらいまで勉強し、ちょくちょく発狂したり悪夢を見たりしながら過ごしてきた。
教授陣相手に研究について語り質疑応答をやりすごしたり、その場で問題を手渡されて解説して解いたりするのはとてつもないプレッシャーだったがなんとか乗り越えた。
運良く僕は合格だったが一体いつまでテストされ続けなければいけない人生なのだろうと、こういう関門を無様な姿で地を這うやり方で乗り越えようとする度に思ってしまう。
追記:これは後日知ったことだが、専攻1位だったらしい。凄く嬉しい。
怒りの沸点(たきで)
とまとくんが先日「怒ると叱る」ということについて書いていた。
僕もそれよく思うなって読んでいたが、それに続いて「怒りの沸点」の話を書こうと思う。
「普段怒らない人ほど怒ると怖い」っていうのはよく聞く言葉だ。僕自身もたまに「本気で怒ったら怖い」って友達に言われる。
でも、僕はそもそも人に本気で感情をぶつけておこったことがない。
だけどそれは、怒りの沸点が高いからだと思う。
よく怒る人が怒る些細な出来事でもまあいっかで流せてしまうタイプなのだ。
だけど、本当に許せないことにはしっかり怒りに震えるし、怒らないのではなくて怒るほどではないことには無駄な負の感情を覗かせないようにしてるだけだ。だから、その怒りの基準である沸点以上のことをされれば心から怒る。心から怒るべきことにしか怒らない。
作業系のアルバイトをたまにしていると、些細なことで人を貶し人格否定までして怒鳴り散らしまくってる現場監督がしょっちゅういる。そういう人は長い作業の間中ずっと叫んで怒っている。皆を憎んでいるくらいに。
そりゃ、大きい声で指示を出さないと作業は危険なこともあるし、円滑に進まないが、明らかに人格否定は必要なかったり、怒鳴るだけで指示が上手くなかったりと、そのせいで作業はうまく進まなくなっている。
きっと体育会系にもよくある「自分がそうやって下積み期間の時に怒鳴られたり酷い扱いをされたりしたから、自分が上司になった時に同じようにこきつかってやろう」ということなのかもしれない。
それにしても、常に些細なことで全力で怒鳴り散らしてる姿を見ると「そんなふうに日々を生きてて楽しいのかな」と申し訳ないが本当に思ってしまう。
先日も作業系のバイトに行ったが、その人のことを怒鳴り散らしてるだけで無能で馬鹿なおっさんと思ってる人もベテランさんには多いようだった。
こんな現場にいると心が荒んでしまいそうなので、あと数回勤務したらしばらくはこのバイトをやめようかと思っている。
負の感情は持つだけ損なのだから朗らかにいよう。
表情筋 (たきで)
ふと最近自分の表情がリアクションに乏しい気がして表情筋の鍛え方を調べた。
思えば僕は笑うのが得意ではない。
にっこり笑ってと言われたり意識したりするほど
顔がひきつってどうしようもなくぎこちない顔になる気がしてしまう。
だから、人に顔を見られるのが苦手なんだ。
つまり、自分の表情に自信が持てないのだ。
だからますます表情を使って人と接しようとしない。そのためにどんどん表情筋が強ばって動かしにくくなって、笑おうとしても引きつった顔になってしまうようになるという悪循環に陥るのだ。
よく笑うほど表情筋は鍛わり、変な言い方だが笑うのが上手くなる。
人に指摘されたことは何気なく言われたことかもしれなくても、言われた本人にとっては結構根深く刺さるもので
「表情が固くて怖いよね」とか
「喋り方がなんか気持ち悪い」とか
「顔さえ良かったらなー」とか
本当にそうであろうがそうでなかろうが本人は気にするようになってしまい、その部分を晒すことに対して臆病になってしまう。
そんなことは悲しいしもったいない。
ということで最近家でこそこそ笑顔を作る練習をしている。
なんとなく表情が柔らかくなってきた気がするので、このまま続けてニコニコした笑顔が素敵な人と思われるようになりたいものである。
昔から僕はいつもニコニコしてる人を見ると羨ましくて、ああなりたいと思っては俯いて過ごしてきた。
だけど、自分に自信を持つためにできることならあるゆる手を尽くしたいと思う所存だ。ニコニコ
宗教勧誘(たきで)
昨日、宅配便が来る予定だった。
一人暮らしの僕は風呂にも入れず、部屋でずっと待機していた。
20:00頃僕が痺れを切らしそうになっていたところ、やっとチャイムが鳴った。
そこで待ってましたとドアを開けると、
目の前にいたのは配達のいつものおっちゃんではなく、ニコニコした若い学生風の男女だった。
普段アポなしの訪問に対しては居留守派の僕は(しまった…!)と思いながらも応対した。
「すいません、夜遅くに。〇〇という大学サークルのものですが、簡単な調査をさせて頂いてもよろしいですか?」
〇〇は大学で有名な宗教系のサークルだったため、僕はわざと露骨に嫌な顔をした。
「はぁ…。いやすいません、今忙しいんで」
「待ってください、今何してたんですか?」
(なんでそんなこと聞くんだよ)と思いながら僕は上手い嘘をコンマ数秒で思いついた。
「今友達と電話してたんですよ。今も通話中なんでいいですか。」
と携帯(通話などしていない)を見せながらドアを閉める。
「ちょっと待ってください、あと一ついいですか?何年生ですか?」
「はぁ、〇年生ですけど、じゃあ」
「ありがとうございます、機会があれまた々お願いしま」バタン
日頃ふざけて嘘を出任せで言っていた成果がこんなところで役立つとは。よかった。
そして結局来なかった宅配便、おのれ。