眩暈(たきで)

ふと我にかえってしまうと、
毎日研究か勉強のことしか考えていないことに気づいてしまう。

朝起きたら研究室に行くまで勉強しなければ。
研究室にいる間は研究しなければ。
帰ったら寝るまで勉強しなければ。
そうして3:00を過ぎたくらいに布団に入る。
(これでは勉強が足りない。このままのペースじゃダメだ。)
焦燥感に駆られて寝付けずに明け方眠る。
そして朝は少し寝過ごすものの、研究室に行くまで勉強しなければ。

ければければと言うだけでいつも満足にできたことは無い。
夜更かしして入らない頭で
沢山勉強して詰め込んで、焦って不眠症気味になってまで明け方眠り、
早起きするつもりが遅い時間に起き、
勉強することができず研究室へ。

勉強してもしても、覚えたことが次から次へと頭に穴があいているみたいに抜けていく。
同じ問題を何度も何度も解くけれど、1週間後には記憶が怪しくなっている。
眩暈がひどい。
こんなことに頭を巡らせているうちにまた何かを忘れて、時間を失っていく。
覚え方も工夫が足りないけれど、勉強範囲、量が多すぎるのが問題だ。

頭を使って、院試まであと3週間、本気で勉強しなければならない。

研究して帰って、論文読んで寝て研究して。大学受験も定期試験も何もかも、越えるまでは「これを越えたら良いことがあるよ」と信じて越えてきたけど、今更ながらに薄々気づいてる。頑張っても頑張っても、頑張るほど頑張らなければいけないような状況に追い込まれること。

完璧主義になってしまったのは受験勉強の弊害だ。
自分を減点法でしか見られなくなって、どうしても認められなくなったのも受験勉強の弊害だ。
手を抜いたり、生産性のない時間を過ごしたりすると、罪悪感に責め立てられるようになったのも受験勉強の弊害だ。

人として認められるために努力しているはずなのに、やればやるほど人らしさをなくしていくようだ。

(どうしてこんなことになってしまったのだろう。こんなはずじゃなかった。)

ふと我に返って考えてしまうと、こんなふうに心が揺れて狂いそうになって、手が止まってしまうから、何も考えちゃダメだ。昔の平和だった頃の日々とも比べちゃダメだ。思い描いた日々とのギャップをいつまでも気にしていてはダメだ。ただ今は無心で勉強しなければ。

いつか報われる日を信じ続けて何年も経つが、今のところ事態は悪化していくばかり。頑張れば頑張るほど苦しい場所に連れていかれるばかり。

手を抜いた方が楽なんじゃないか。辛酸舐めてばかりのこの日々は失敗だったのだろうか。

それでもまだ耐えて耐えて耐えて、また心から笑えるようになる時が来ると信じていたい。いくら頑張っても報われないように思えても、頑張るしかないのだ。過去の自分を肯定するために。
僕はただ幸せになりたかっただけなのだから。





書き終えて時計を見れば30分が経過していた。
また僕は勉強時間をなくしてしまったのだと焦り、気がふれてしまいそうになっている。
切り替えなければ。