兆し(たきで)

「生活を送る中であなたが嬉しいと感じるようなことは何?」

と聞かれたとしたら、
僕は誰かから連絡が来た時や何かに誘ってもらった時がとても嬉しい。

基本的に僕はむしろ誘う側、巻き込む側の立場が多くて、
周りには積極的に連絡を取ってくるような仲の人があまりいない。
だからこそ、割と周りから企画する側としてありがたがられるのだが
僕が何もしないと、僕の周りでは何も起きなくなってしまう。

だから、そうやって周りの人を誘ってくれる人、積極的な人と親しくなりたいものだと常々思っている。

いや、これは誤りかもしれない。

むしろ相手の問題ではなく、自分自身が誘ってもらえるような人間になりたいと思っている。
逆に巻き込まれてばかりが悩みの苦労人もいるだろうけれど。

誰しもそうだと思うが、やはり承認欲求というものがあるのだ。
誘ってもらったことで
(誘うとしたら君しかいない。代わりはいない。)と、認めてもらえたような気持ちになれる。

例えば、誰にも自分からは連絡を取らないまま1週間過ごしたとして、僕には恐らく家族くらいしか連絡が来ることはないだろう。
何人から連絡が来るか、何かに誘われるか、その数が、どれだけ周りに認められているか、必要とされているかの指標に感じてしまう。
さすがに偏った考え方だけれど。

それゆえ、誰にも会わずに、誰とも連絡を取らずに1日を終えた時、
(今日、誰か僕のことを思い出してくれた人、考えてくれた人っているのかな。もし1人もいなかったならば僕の1日は、僕の存在は僕以外の人々の世界にとって無かったも同然なんだな。。。)と不安になってしまう。

先日の別れの話でも書いたが、
最近親しい人との別れが続いて、
人間関係のほつれには敏感になっている。
今、親しくしてくれている人達のことを大切にしたいと切実に思っている。
そんな人達がいてくれて、本当にありがたいと感じている。

最近学部の友達に旅行に誘ってもらった。
自分の企画以外で友達と旅行に行くのは久しぶりで、この上なく嬉しい。

院試を乗り越えれば旅行に行ける。
ここ最近、人ともろくに会わず、勉強と研究のことしか考えられない、暗くて苦しい日々だったけれど、その約束のおかげで遠くに少し光が差した。
今はその光の道筋を辿って泥水啜りながら
無様に地を這ってでも頑張るしかないのだ。
現状から次の場所へと、
前に進ませてくれるのなら、
照らしてくれる光は何だっていい。