大学院試(たきで)

7月に大学院試があった。

この院試、一般入試ではなく

成績優秀者のみが受けられるいわば

推薦入試のようなものだった。

とはいえ、そんな選抜された優秀者の中から半数は落ちるのだから狭き門だ。

僕はこの院試に向けて4月から毎日朝から深夜3:00くらいまで勉強し、ちょくちょく発狂したり悪夢を見たりしながら過ごしてきた。 

教授陣相手に研究について語り質疑応答をやりすごしたり、その場で問題を手渡されて解説して解いたりするのはとてつもないプレッシャーだったがなんとか乗り越えた。

運良く僕は合格だったが一体いつまでテストされ続けなければいけない人生なのだろうと、こういう関門を無様な姿で地を這うやり方で乗り越えようとする度に思ってしまう。

怒りの沸点(たきで)

とまとくんが先日「怒ると叱る」ということについて書いていた。
僕もそれよく思うなって読んでいたが、それに続いて「怒りの沸点」の話を書こうと思う。

「普段怒らない人ほど怒ると怖い」っていうのはよく聞く言葉だ。僕自身もたまに「本気で怒ったら怖い」って友達に言わらる。
でも、僕はそもそも人に本気で感情をぶつけておこったことがない。
だけどそれは、怒りの沸点が高いからだと思う。
よく怒る人が怒る些細な出来事でもまあいっかで流せてしまうタイプなのだ。
だけど、本当に許せないことにはしっかり怒りに震えるし、怒らないのではなくて怒るほどではないことには無駄な負の感情を覗かせないようにしてるだけだ。だから、その怒りの基準である沸点以上のことをされれば心から怒る。心から怒るべきことにしか怒らない。
作業系のアルバイトをたまにしていると、些細なことで人を貶し人格否定までして怒鳴り散らしまくってる現場監督がしょっちゅういる。そういう人は長い作業の間中ずっと叫んで怒っている。皆を憎んでいるくらいに。
そりゃ、大きい声で指示を出さないと作業は危険なこともあるし、円滑に進まないが、明らかに人格否定は必要なかったり、怒鳴るだけで指示が上手くなかったりと、そのせいで作業はうまく進まなくなっている。
きっと体育会系にもよくある「自分がそうやって下積み期間の時に怒鳴られたり酷い扱いをされたりしたから、自分が上司になった時に同じようにこきつかってやろう」ということなのかもしれない。
それにしても、常に些細なことで全力で怒鳴り散らしてる姿を見ると「生きてて楽しいのかな」と申し訳ないが本当に思ってしまう。
先日も作業系のバイトに行ったが怒鳴り散らしてるだけで無能で馬鹿なおっさんと思ってる人も現場監督より下の地位のベテランさんには多いようだった。
こんな現場にいると心が荒んでしまいそうなので、あと数回勤務したらしばらくはこのバイトをやめようかと思っている。

負の感情は持つだけ損なのだから朗らかにいよう。

ずっと自分の気になっているところ(たきで)

自分に対していつも不満ばかりが募るけれど
具体的に何がダメなのか列挙して客観的に考えてみる。
・朝に弱い、二度寝三度寝率の高さ
・ことある事にスマホの画面見すぎ
・集中して物事に取り組めない
・夜更かしして長時間作業してるのかと思いきや実態は無為に過ごしてるだけ

これは、、、スマホを触るのをやめれば解決か…???

表情筋 (たきで)

ふと最近自分の表情がリアクションに乏しい気がして表情筋の鍛え方を調べた。

思えば僕は笑うのが得意ではない。

にっこり笑ってと言われたり意識したりするほど

顔がひきつってどうしようもなくぎこちない顔になる気がしてしまう。

だから、人に顔を見られるのが苦手なんだ。

つまり、自分の表情に自信が持てないのだ。

だからますます表情を使って人と接しようとしない。そのためにどんどん表情筋が強ばって動かしにくくなって、笑おうとしても引きつった顔になってしまうようになるという悪循環に陥るのだ。

よく笑うほど表情筋は鍛わり、変な言い方だが笑うのが上手くなる。

人に指摘されたことは何気なく言ったことかもしれなくても、言われた本人にとっては結構根深く刺さるもので

「表情が固くて怖いよね」とか

「喋り方がなんか気持ち悪い」とか

「顔さえ良かったらなー」とか

本当にそうであろうがそうでなかろうが本人は気にするようになってしまい、その部分を晒すことに対して臆病になってしまう。

そんなことは悲しいしもったいない。

ということで最近家でこそこそ笑顔を作る練習をしている。

 

なんとなく表情が柔らかくなってきた気がするので、このまま続けてニコニコした笑顔が素敵な人と思われるようになりたいものである。

昔から僕はいつもニコニコしてる人を見ると羨ましくて、ああなりたいと思っては俯いて過ごしてきた。

だけど、自分に自信を持つためにできることならあるゆる手を尽くしたいと思う所存だ。ニコニコ

宗教勧誘(たきで)

昨日、宅配便が来る予定だった。

一人暮らしの僕は風呂にも入れず、部屋でずっと待機していた。

20:00頃僕が痺れを切らしそうになっていたところ、やっとチャイムが鳴った。

そこで待ってましたとドアを開けると、

目の前にいたのは配達のいつものおっちゃんではなく、ニコニコした若い学生風の男女だった。

普段アポなしの訪問に対しては居留守派の僕は(しまった…!)と思いながらも応対した。

「すいません、夜遅くに。〇〇という大学サークルのものですが、簡単な調査をさせて頂いてもよろしいですか?」

〇〇は大学で有名な宗教系のサークルだったため、僕はわざと露骨に嫌な顔をした。

「はぁ…。いやすいません、今忙しいんで」

「待ってください、今何してたんですか?」

(なんでそんなこと聞くんだよ)と思いながら僕は上手い嘘をコンマ数秒で思いついた。

 

「今友達と電話してたんですよ。今も通話中なんでいいですか。」

と携帯(通話などしていない)を見せながらドアを閉める。

 

「ちょっと待ってください、あと一ついいですか?何年生ですか?」 

「はぁ、〇年生ですけど、じゃあ」

「ありがとうございます、機会があれまた々お願いしま」バタン

 

日頃ふざけて嘘を出任せで言っていた成果がこんなところで役立つとは。よかった。

 

そして結局来なかった宅配便、おのれ。

街を散策(たきで)

一昨日、とまとと街へ繰り出して歩き回り、いわゆる街遊びがしたい時はどうやって過ごせばいいかを探ってきた。

街はさすがでデパートが密集していて、4軒ほど回ったがレディースエリアが多いこと多いこと。

特に立ち止まることなくほとんど素通りしてきてしまった。

僕達のような人間にはLOFT行ってマックやココイチでいいね、なんて言いながら

せっかく来たので晩御飯はほどほどにしゃれおつなカフェですましてきた。

これで僕らもモテにまた一歩近づいたな。

 

街はすっかりクリスマス仕様でイルミネーションが目に染みたけど。

おじいちゃん(たきで)

昨日は母方のおじいちゃんの17回忌だった。

つまり、おじいちゃんは僕が5歳だった頃にいなくなったわけでおじいちゃんの記憶が僕にはほぼない。

唯一覚えている事としておじいちゃんは、末期に1度退院した後、すぐに入院して亡くなった。その時に「おじいちゃん退院おめでとう会」をおばあちゃんの家でやって枝豆をおじいちゃんが食べていたことがなぜか記憶に残っている。

それからというものおばあちゃんの家に行く度に仏壇に手を合わせたり、年に1度は墓参りに行ったりしていたものの、おじいちゃんの存在は遠いもので「僕も頑張るよ。」などとおじいちゃんがどんな人かだったかもよく分からないまま念じてきた。

 

だけど今日「親が子供に教えた生き方をその子供が親になった時に子供に伝えていく。つまりそれは自分がいなくなった後も自分の生き方が先の子供達にまで残るということ。だから、この方の生き方もここにいる皆さんにきっと根付いている、DNAに刻まれているはずです。」というお坊さんの言葉を聞いてはっとさせられた。

おじいちゃんは物心ついた時から、

遠くに行ってしまった存在なんだと思って生きてきたけど、

僕が小さい頃から僕の母親を介して、ずっと僕のそばに居てくれて生き方を支えてくれてたんだなって。

最近投げ出して逃げてしまいたいこと、どうしようもないこと、もう取り返しのつかないことが多くて、投げやりに毎日を送ってしまっていたけれど、

おじいちゃんが残してくれたそばにあるものを大切にしてもっと丁寧に生きようと思った。